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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)2026号 判決

控訴人 豊嶋博

被控訴人 国

代理人 川野辺充子 仁平康夫 ほか二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の当審における予備的請求を棄却する。

当審における訴訟費用は全部控訴人の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  本件事故の発生とその態様

1  控訴人は昭和五四年一〇月四日から府中刑務所に服役していたところ、同五六年四月八日から刑務作業として洗濯工場において、洗濯機と脱水機を使用して洗濯する機械係の作業を命ぜられたこと、控訴人の操作する本件脱水機は同月一一日ごろ以降故障のためブレーキが全く作動しなくなつていたこと、同月一四日午前八時二〇分ごろ控訴人は本件脱水機を使用して作業に従事中、左足を本件脱水機の回転中のバスケツト内に巻き込まれ、左下肢膝関節部以下切断の傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

2  <証拠略>を総合すると、本件事故直前に控訴人が本件脱水機に洗濯物を入れ脱水機を始動させたところ、洗濯物がバスケツト内に平均して入つていなかつたために脱水機がガタガタと音を立てて大きく揺れたので、控訴人は洗濯物をバスケツト内に平均して詰め替えるべく本件脱水機のスイツチを切り、脱水機の蓋を開け、バスケツトの回転が緩かになりかけたときバスケツトの縁に雑巾を当てて両手で押え回転を早く止めようとしたこと、バスケツトの回転が更に緩くなつたころ控訴人は、バスケツトの縁を長靴を履いた足で押さえればより早くバスケツトの回転を止めることができると考え、とつさにゴム長靴を履いた左足を本件脱水機の脱水槽の枠に乗せ、前かがみになつてゴム長靴の先端部をバスケツトの縁に押し当ててその回転を止めようとしたところ、左足が回転中のバスケツト内に落ち込んだために本件事故が発生したものであることが認められる。

原審及び当審における<証拠略>中右認定に反する部分は、<証拠略>に照らし措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  刑務官の過失の有無

1  本件事故は被控訴人国の公権力の行使に当たる刑務官の監督下にある刑務作業中に発生したものであること、刑務作業は強制的作業であるから、在監者をして刑務作業に従事させる場合には、担当刑務官は事故防止のため、万全の注意を払い、適当な措置をとるべき義務があることは当事者間に争いがない。

2  そこで、担当刑務官が本件事故防止のため前記義務を尽くしていたかどうかについて判断する。

<証拠略>によれば次の事実が認められる。

(一)  本件脱水機は立型円筒形の脱水槽の中にモーターの動力で垂直な回転軸の周りを回転する遠心脱水バスケツトが設置されている構造のもので、脱水槽の上面には円形の蓋が取り付けられており、バスケツトの回転中は蓋を閉じて金具により脱水槽本体に固定することができ、脱水し終えると電源を切り、バスケツトの回転が弱まつてから蓋を開けると蓋に連動しているブレーキが作動して惰力で回転しているバスケツトの回転を止める構造になつている。本件脱水機の電源を切つて蓋を開けても、バスケツトの回転は直ちに停止するものではなく、回転中のバスケツトに身体を触れることは極めて危険であるため、府中刑務所においては、従前から担当刑務官をして機械係の作業に従事する受刑者に対し事前に脱水機等の操作その他の作業について注意や指導を行わしめ、回転中のバスケツトには絶対に身体を触れないように、回転が完全に停止してから洗濯物の出し入れを行うように指導してきた(脱水機の付近の壁には使用心得が掲示されており、右使用心得には使用中は必ず蓋を閉めて回転部分には絶対に手を触れないこととされている。)。

(二)  しかし、洗濯工場においては、従前から脱水機を操作する受刑者らが作業能率を高めるために、ブレーキの故障がない場合でも、脱水機のスイツチを切つて脱水槽の蓋を開けた後回転の弱まつたころに回転中のバスケツトの縁に雑巾を手で押し当ててその停止時期を早めることが時折り行われており、担当刑務官もこのことを知つており、発見した際にはこれを制止していた。

(三)  控訴人は機械係の作業を命ぜられるまでは洗濯工場の干場係をしていた者で、昭和五六年三月二五日に退官するまで洗濯工場の担当刑務官であつた笠原治平看守が機械係の受刑者に対して、脱水機の回転中のバスケツトには絶対に手を触れないように、雑巾を当てて回転中のバスケツトの停止を早めたりしないように厳しく注意していたことを知つていた。

(四)  笠原治平看守の後任者である鶴見秀夫(以下「鶴見」という。)は、控訴人を機械係に就業させる際に本件脱水機の操作に関する注意事項、とりわけ回転中のバスケツトに触れてはならないことを教示した。

(五)  昭和五六年四月一一日ごろ、本件脱水機のブレーキが故障したことを知らされた担当刑務官である鶴見は本件脱水機の故障状況を確認し修理の手配をしたが、部品の都合で修理に時間を要し早急に修理することができないことが判明した。本件脱水機の使用を中止すると洗濯作業に支障が生じる虞れがあり、本件脱水機はブレーキ以外に異常はなく、ブレーキが作動しなくてもスイツチを切れば三分間程度でバスケツトの回転は自然に停止するところから、鶴見は、バスケツトの自然停止を待つて洗濯物を取り出すようにすれば別段本件脱水機を使用しても危険ではないと判断し、控訴人に対し、脱水の終つた洗濯物を取り出すときはバスケツトの自然停止を待つて作業するように指示して本件脱水機の使用を継続した。控訴人は、当初のうちは脱水の終わつた洗濯物はバスケツトの自然停止を待つて取り出すようにして作業を行つていたが、作業能率が上らないため、雑巾でバスケツトの縁に押し当ててバスケツトの回転の停止時期を早める方法を採るようになつた。本件事故当日の洗濯工場における作業は午前中非常に多忙であつたため、控訴人は雑巾によるだけでなくゴム長靴を履いた足を惰力で回転中のバスケツトに押し当ててバスケツトの回転の停止時期を早めようとしたところ、本件事故が発生した。

(六)  洗濯工場において回転するバスケツトに足を押し当ててこれを停止させようとした者は、控訴人以外にこれまで存しなかつた。

原審及び当審における<証拠略>中、右認定に反する部分は措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実に基づいて考察すると、本件脱水機は故障のためブレーキが全く作動しないのであるが、他の機能には異常がなく、ブレーキの故障により生ずる不都合は、スイツチを切つてからバスケツトが完全に停止するまでの時間が若干長くなるだけであり、バスケツトの自然停止を待つて洗濯物を取り出すという方法を採れば安全に作業することができるから、右の方法で本件脱水機の使用を継続することそれ自体は安全管理上問題はなく、担当刑務官に本件脱水機の使用を中止すべき義務があつたということはできない。なお、控訴人は労働安全衛生規則一〇三条を引用し、担当刑務官は同条にいう動力しや断装置に該当するブレーキが故障のため機能しない本件脱水機の使用を中止すべきであつたと主張するが、本件脱水機のブレーキは、モーターのスイツチが切られた後惰力で回転しているバスケツトを早期に停止させる目的で設けられているもので、同条にいう動力しや断装置に該当しない。本件脱水機には同条にいう動力しや断装置としてスイツチが設置されているから、同条の規定を根拠として本件脱水機の使用を中止すべきであつたとする控訴人の右主張は失当といわざるをえない。

次に、前記認定の事実によれば、府中刑務所においては、洗濯工場の機械係の受刑者に対して本件脱水機の操作に関する注意事項、とりわけ回転中のバスケツトに身体を触れてはならない旨を教示し指導しており、控訴人に対してもこれを行つてはいるけれども、受刑者らによつて右禁止に反して雑巾を押し当てバスケツトの回転の停止時期を早めることが時折り行われ、刑務官もこれを知つているのであるから、ブレーキの故障した本件脱水機の使用を継続するに当たつて、作業能率を高めるために控訴人が雑巾を押し当てる方法を採ることは十分予見しうるところであり、担当刑務官としては控訴人に対し右のような方法を採ることのないように厳に指導・監督すべき義務があつたものということができる。しかし、前記一、2で認定したように、本件事故は控訴人が本件脱水機の枠に片足を乗せ、惰力で回転中のバスケツトの縁をゴム長靴の先端で押さえてこれを停止させようとしたことに起因して発生したものであるところ、控訴人の右行為は雑巾でバスケツトの縁を押さえる行為に比べて格段に危険な行為であり、これまで府中刑務所においてこのような異常な行為に出た者は存しなかつたのであるから、担当刑務官としては、控訴人のこのような異常な行為を予見することは不可能であり、担当刑務官において控訴人が右行為に出ることまで予測して右行為を防止するために控訴人を指導・監督すべき義務はなかつたものといわざるを得ない。

したがつて、本件事故の発生に関し、担当刑務官に安全管理上の義務違反があつたものということはできない。

三  本件脱水機の設置管理の瑕疵について

前述のとおり、本件脱水機はブレーキが故障していたものであるが、本件脱水機は、脱水後スイツチを切つて惰力の弱まつたころを見計らつて蓋を開けるとブレーキの作用により間もなくバスケツトの回転が停止する構造のものであることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件脱水機はスイツチを切つてもバスケツトの高速回転中は蓋を開けてもブレーキは余り効果がないことが認められるから、ブレーキの効用は主としてバスケツトの回転が低速になつた時に停止時間を短縮する作用を営むものであることが認められる。本件脱水機は労働安全衛生規則一三八条にいう遠心機械に該当するところ、同条は遠心機械について蓋の取付けを義務づけているのみで、同規則上遠心機械についてブレーキの設置を義務づけた規定はない。本件脱水機にブレーキが設置されていることにより、スイツチを切つた後バスケツトの惰力回転の弱まつたころを見計らつて脱水機の蓋を開ければ、ブレーキが働いてバスケツトの回転を停止させることができるから、その限りにおいて、ブレーキの設置は脱水機を使用する作業に従事する者の安全の確保に役立つものではあるが、ブレーキが設置されなくても(又はブレーキが故障により作動しなくても)バスケツトの回転が自然に停止するのを待つて脱水機の蓋を開けて洗濯物の取出し作業をすることにより、安全に本件脱水機を使用することが可能である。府中刑務所においては、従前から受刑者に対し、回転中のバスケツトには身体を触れないように、また回転が完全に停止してから洗濯物の出し入れを行うように注意し、指導してきたし、また、雑巾を押し当ててバスケツトの回転を止めることも制止してきたこと、本件事故は、控訴人が脱水機の回転中のバスケツトをゴム長靴を着用した足でその縁を押さえることによつて停止させようとした、本件脱水機の通常の用法からみればその設置管理者である被控訴人にとつて通常予測することのできない行動に起因するものであつたことは先に認定判示したとおりである。

以上説示の諸事情にかんがみると、本件脱水機は、ブレーキが故障してはいたものの、その管理状況に照らし本来それが具有すべき安全性に欠けるところがあつたとはいえず、控訴人のしたような本件脱水機の通常の用法に即しない異常な行動の結果生じた事故につき、被控訴人はその設置管理者としての責任を負うことはないものといわなければならない。

四  結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の被控訴人に対する国家賠償法一条に基づく主位的請求及び同法二条一項に基づく予備的請求はいずれも理由がない。

よつて、控訴人の主位的請求を棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから民訴法三八四条に従いこれを棄却することとし、控訴人の当審における予備的請求も理由がないからこれを棄却し、当審における訴訟費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤浩武 三宅純一 林醇)

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